生きることをまなびに
飽きっぽい私のくせに、氣づけば長く、これだけは続いている。
先生、ライター、広報。
仕事はつねに言葉を紡ぐこととともにあった。
3月に書いた記事「わたしがわたしらしく」で触れた、「やさしいマントラ」という半年プログラムの後期リトリートとして、3泊4日で小淵沢に行って参りました。
私は暮らしの中にとりいれるものについて、なるべく、日本ぽいものか地域に根ざしたものという基準がどこかにある。
そんな中インドの文化に根ざしたものをやっていくことへの迷いみたいなのが、なんとなくこの半年、頭の片隅に発生して、それがどんどん大きくなってしまった。
こんな気持ちでリトリート行ってもねえ・・・家族にたくさん迷惑かけるわけだし、でも学ぶ仲間たちとは会いたいなあ・・・はじめたことは続けるべきだとも思うし、みたいにぐるぐるして、3週間前くらいに辞めることにした。
そのあといろいろ悩んで、マントラ仲間に相談し、先生に直接会って話して、
学ぶだと辛くなっちゃうなら、楽しむために行くとおもうといいんじゃない?
というお言葉をいただき、あーじゃあ大好きな先生&仲間ともう一度生活をともにしたいから行こーというかんじで、行くことに。
そして到着。
外に出ることがあれば、ひたすらきのこを探していた。
今回のベストきのこ。
なんだかんだいって学びもちゃんとしましたよ!
パンチャコーシャという概念をメインにすえてがっつりと座学とマントラを。
ざっくりいうと、人は肉体・エネルギー・知識・魂に刻まれた智慧・愛にあふれた大きな大きな喜びの5層でできてるみたいな感じの考え方。
イメージとしてはマトリョーシカとかタマネギみたいなかんじ?
へーって思った。
こまよ先生から
あなたの学ぶ仲間たちはどんな人ですか?
という問いかけをいただいた。
仲間の一人からは私について「おもしろい人」という答えが出た。
おもしろいと判断したのは見た感じ(髪型とか服装とか)なのか、発する言葉なのか、雰囲気なのかをよくみて、自分のみるポイントとちがうポイントでもみようとするといいよ、みたいなお話だった。たしか。
ちなみに妖精という説も出た。
世界をきのこで満たします。
なお先生からは、こんな問いをもらった。
あやねちゃんがもしこの世界を自分で作り替えられるとき、こんな世界だったらいいなと思うのはどんな世界?
聴いた瞬間、あ、これ私の座右の問いだ、と胸が熱くなった。
ライターとしての私を育ててくださったYOSHさんこと兼松佳宏さん(元グリーンズ編集長、今は京都精華大学で先生やってます)は、
座右の銘よりこれからは座右の問いなんじゃないかなあ
と折に触れて仰っていたのを思い出した。
で、私の答え。
勝ち負けで動く世界ではなく、誰もが命をいのちとして大切にできる世界にしたい
いのちというと、ちょっと幅広くなりすぎるなら、目の前の人の暮らしとか想いとか歩いてきた道筋とかに置き換えてもいいかも。
私は文章を校正するのもされるのもいつもちょっぴり苦しくなる。
たかが言葉を直すだけなのに、なんでだろう?とずっと考えていたのだけれど、この言葉を発したときに氣がついた。
私は文章を書くことが好きだけれど、読むのはもっと好き。
とくに、友人たちとのメッセンジャーやラインでの手紙的なやりとり文、ブログやSNSへの散文的な投稿文。
どんな言葉を選び、どこで句読点を打ち、人によってはどんな絵文字やスタンプを使うのか。一字一句にその人の色があり、音がある。
それは、今のその人そのものであり、歩いてきた道の現れだから。
読めば一瞬かもしれないけど。
上手い下手じゃないんです。
自分にウソをつかないで表現されたものは、どれも美しく、愛しい。
だからできるだけいじりたくないし、いじられたくない。
・・・そうは言っても、メディアに乗っける文章は読み手の心地よさもとても大事なので、そこはちゃんとします。
ただ、文章を直すことはどういうことか、どう感じるかは絶対忘れちゃいけないし、人の文章をざくざく直すことに抵抗がなくなっているとしたら、それはちょっと考えた方がいいのではないかと思う。
私がなお先生とこまよ先生についていきたいなーと思ったのは、誰かの命を自分の命と同じ重さのものとして尊重して、向き合ってくれるから。
そしてそういう先生の周りには、同じように愛のある人が集まるのだということを心が知っていたから。
半年間ともに学んだ15人の仲間たちのことは、一人残らず、大好き。
愛しいなあ、離れがたいなあと思う。
息子が1~3歳の2年半通った子育てサークルでも母仲間にはいつもそんなふうに感じていたのだけれど、再びこんな気持ちになれる場に出逢えたことが、すごく嬉しかった。
今回で一旦一区切りかなと思ったんだけど、もっと先生や仲間たちと、愛ってなんだろう、生きるってなんだろうっていうことを学んでいきたいと心から思った。
それってたぶん、国とか宗教とかを超えて一緒に考えていける何かなんだという確信みたいなのを掴ませてもらえたから。
また折に触れて、この美しい小淵沢にかけがえのない友人たちと、帰ってこれますように。
祈りをこめて。
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