入園ふたたび
先日、入園式に親子で出席しました。
いまの幼稚園は昨年の5月からだったので、担任の先生によかったらいかがですか?とお声がけいただきまして。
息子にちゃんとこの園での生活をはじめさせてあげられなかったこと、ずっと負い目を感じていたからちゃんとお式をさせてあげられてほんとうによかった。
息子が赤ちゃんのころから数年憧れていた幼稚園に入って、1時間半の通園があまりにきつくて3週間で辞めて転園した。
今いる園は地元の園なもんで、0~3歳の間もちらちら子どもの様子や園の様子も見ていて、方針はすごく共感できるし子どももいつもゴキゲンにのびのびしていて好感はもっていた。
ただ、平和についてすごくよく考える園で、それはいいんだけど政治についての向き合い方が私とちがうから
(あやねぇはバリバリの保守だからねえ・・・)
お互い近づきすぎるとケンカばかりになっちゃうかなと敬して遠ざけていた。
でも、昨年の今頃、往復だけでつかれて息子につらくあたる日々が続いて、私の信念なんてどうでもいいからとにかくこの子の幸せな日常を守らなければと思って移った。
今の園は、自由であることを徹底的に重んじる幼稚園。親にも、子どもにも。
上下関係をつくらないことも徹底している。
PTAにもクラスにも長というものがない。みんなフラットで何事も多数決では決めず話し合いで皆が納得した上で進む。
親の活動は多いけど「できるひとができるときに」。
フルで完璧につきあおうとすると倒れちゃうから、自分が心地いい関わり方をつねに試行錯誤していかねばいけない。
「あなたはどうしたいの?」
親も子も何度も何度も問いかけられる。
自由はたのしい。でも、らくではない。そんなことをいつも思う。
だからこそいい練習になるのかも。
これから先、子どもの手が離れて社会とがっつりつながっていくときのために。
政治についてはやはり「お、おぅ」と戸惑うこともあるけれど、意外と気にならなかった。
生活をともにするというところがベースにあるからか、意見がたとえちがってもそれをちゃんと語り合えるし尊重できるんだよね。
いがみ合わない。
幼稚園という場は子どもをどう育てたいかが同じ方向を向いていれば、私たち大人の思想のちがいなんてそこそこ乗り越えてともに歩めるのかもしれません。
前の園の友人たちに話を聴いて、やっぱり羨ましくなることはある。
でも。
うちの園も、負けず劣らずいいとこだよ。
と今なら胸張っていえるかな。
写真は入園の日に掲示板に貼られていた言葉。
ここの園の選ぶ言葉、紡ぐ言葉にはいつもハッとさせられる。
子どもに私はちゃんと人として向き合えているだろうかと。
私と同じ命の重みをもつ者として尊重しているだろうかと。
ここからはじまる息子の日々が豊かなものでありますように。
Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.