教育ボランティアをやってみた
ライター講座終了後、5月下旬に教育ボランティアを何回かやってみた。
「ひとだんらく」で書いたとおり、NPO法人カタリバというところにお世話になった。ワークシートを使いながら高校生や大学生に自分の生きていく方向性を考えてもらうっていうボランティア。
活動についての詳細はこちら→教育現場に新しい風を送りこむ!高校生の心に火をつける『「カタリバ」という授業』
ちょうど貧血がピークで申し込んでも行けないこともあったのだけれど、教師じゃない立場で教育現場に関わると見えてくるもの、あるねー。
ボランティアが学生や生徒に関わっていくというのは、功罪あるのが分かったというのが一番の収穫。
いいところ。ボランティアの多くは大学生と大学院生。生徒と世代が近いからこそ共感できることがいっぱいある。まだ職業の色がついていない学生がかかわることで、生徒たちは自分と向き合うことに専念できる。もしこれが社会人だと、自分を見つめる前よりも「職業」に目がいってしまうかな…。
どうにかならないかなと思ったところ。
ボランティアは似たような人が多いこと。人にはたらきかけたい人が集まるとそうなるのは、しょうがないんだけどね。善良でまじめで仲間うちのルールを徹底的に重んじる。…うん。教育大っぽい、懐かしい空気だった。きつい。
大学生を使うことが強みな反面弱みにもなってるかもしれない。学校的な価値観からまだ抜け出ていない世代。だからこそ高校生や中学生ともすぐ価値観を共有できるのかもしれないけど、その分生徒たちの世界を広げる効果は薄いかなと。
学校という世界しか知らないっていうのは教師にも言えるけどね。偏った人種の偏った正しさしか知ることができないのは子どもにとって不幸だ。
具体的なことが言えないんだけど、社会ってもっといろんな正しさがある。
たとえば学校だと友達が少ないのってダメ人間の烙印をおされるけど、社会では人と関わるのが嫌で、ものや自然と関わるのが好きって全然オッケーだったりするし。
個性が学校から離れてやっと認められる。それってもったいないなあ、と。
カタリバ的な取り組みはそれはそれで必要。でも、私はもっとダイレクトに子どもが社会の空気を感じられる仕組みもいると思った。
ぽんっと学校と無関係な組織に入れて、活動させるとか、大人も子どもも関係なく地域について話合う場をつくるとか。
そういうのが塾や習い事のかわりに放課後子ども活動としてメジャーになるといい。
大人に混じって子どもが入れ替わり立ち替わり働いてる!みたいな社会にならないかな。
子ども向けボランティアやインターンシップの斡旋をするNPOがあるといいのかな。学校教育とまた別に。
うーん、つくる?
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