続・小山田君についての見解
昨日のエントリのあと、とあるところに書いたコメントが長文になったけどそれなりになんかオピニオンっぽくなったのでこちらに残しておきます。みなさんならどう思います?↓
小山田君の話の前に、音楽シーンについて。なんとなくこの10年くらいで音楽そのものではなく音楽の周辺にある情報を聴いてる人が増えちゃったなあ、という印象をもっています。
今そこにある音から気持ちがそれちゃってるんだよね。
それはエシカルとか、ストーリーでものを買うという潮流がでてきた頃と一致しているな、と。
そして、議論と人格を分けて考えることができない日本人のよくない癖が、ストーリー重視の流れと結びついて、この気持ち悪い紛糾につながっているのではないかなあ、と。
たぶんこれがはじまりになって、たいしたことないプロダクトに感動的なストーリーや美辞麗句のコンセプトやデザインで盛って売っていく質の低いものづくりが跋扈していくと私は預言しておこう。アロマオイルメーカーのドテラみたいな。
もちろん小山田君の過去の所業はファンとしても絶対に一生をかけて償うべき案件だとは思うけれども…、それでも、当たり前に人に共感することが元々できず、言葉もうまくつむぐこともできず、音楽の表現を通してしか人間らしくいられない個人から集団で責め立てて音楽を奪うという行為も、小山田君のしてきたことと同じくらいやってはいけない行為だったと思う。
だって、それ、この國を形成しているある一定数の人間が「どんなに素晴らしい業績をのこしても、人格が破綻している人間は堂々と社会にそんざいしてはいけない」ってメッセージを発しちゃったってことだもん。
五輪云々以前に、それをよしとしてしまう社会に絶望したね。
私たちは神様じゃないからさ。人をそんなに大上段から裁けるほどの聖人君子か?と言うことをそれぞれの胸に問いかけてみれば、こんなにひどいことはできないんじゃないかなあ、と。
まあ、私は一人でそれはそれでおかしいと言い続けてれば気づく人が増えてバランスがとれていくと思っているからいいのだけれど。
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